ビハインド・ザ・カーブ ~直観を裏切る事実に慣れよ

“地球は平らである”という説があります。「ビハインド・ザ・カーブ ~ 地球平面説」(Netflix)は、科学者や周りからどれだけ否定されようとこの地球平面説を主張するコミュニティーを追った作品なのですが、とても面白いので是非観てください。

提唱者のYouTube

ちなみに作品に登場するマーク・サージェント(markksargent)は、Youtubeチャネルの登録者数は9万人を超えている地球平面説を唱える有名人でもあります。(2021年2月1日時点)

作品を100倍楽しむために

地球平面説を主張するからには、科学的な主張があるのに違いない・・・という視聴者の期待はあっさりと裏切られます。

いつになったら地球平面説について説得的な証拠が提示されるんだろう・・・・とモヤモヤしたまま、「コレ(が証拠)」というものは何も提示されないまま作品は終わってしまうのです。

しかし驚くべきは地球平面説を支持する決定的な証拠は何も「ない」にもかかわらず、大学教授やNASAの元職員のなかにも地球平面説を支持する人たちがたくさんいるという事実です。

しかもある登場人物に至っては、自らの実験によって地球平面説をむしろ否定する結果がでているにも関わらず、「地球平面説の証拠は、きっと見つかるはず」という態度を貫こうとするのです。

なぜ?彼らは確固たる証拠があるわけでもないのに「地球平面説」を信じるのでしょうか?

日本人ならではの質問

わたしはさきほど「なぜ?彼らは確固たる証拠があるわけでもないのに地球平面説を信じるのでしょうか?」というような質問をしました。しかしこのような質問をすること自体が、実は日本人的な発想なのです。この点について説明した上で本題に入りましょう。

アメリカという国は、宗教的な自由を求めた人たちが建国した人造国家です。「宗教的な自由」というと、「宗教からの解放」(無宗教)というようなニュアンスもあるかもしれませんが、ここでいう「宗教的な自由」とは、「自分たちの信仰に没頭する自由」という意味です。

ではアメリカ建国者たちの信仰とはどのようなものだったのでしょうか?

アメリカという国は、WASP(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)の影響力が強い国です。そう。アメリカ建国者たちの思想とは、キリスト教「プロテスタント」なのです。

ではプロテスタントの具体的にどのようなものだったのでしょうか?

プロテスタントを理解する鍵は、「予定説」にあります。予定説とは、ひらたくいえば「未来はすでに神によって決定されている」という考え方のことです。

そう。予定説に従えば、未来はすでに決まっているので、「キリスト教徒になる人も決定されている」し、「救われる人も決定されている」という結論にならざるを得ません。

ですからキリスト教(プロテスタント)においては、「まずは信じる」ということがとにもかくにも重要になるわけです。重要というよりも、「まずは信じる」ことができなければその人はキリスト教徒ではないのです。

その一方で日本人になじみの深い仏教はキリスト教徒とは真逆の発想をします。仏教では「修行をすれば悟れる」というように考えます。つまり過去・現在においての努力が、未来に報われるというように考えるのです。

プロテスタント的な発想と、仏教的な発想の違いが、最初に提示した疑問(なぜ?彼らは確固たる証拠があるわけでもないのに「地球平面説」を信じるのでしょうか?)の答えになっていることにお気づきでしょうか?

そう。プロテスタント的な発想をするならば、「地球平面説は正しいと信じる。証拠はあとに探せばいい。きっと見つかるから。」という態度になりやすくなります。

その一方で、日本人になじみの深い仏教的な発想をするならば「地球平面説が正しいか間違っているかは、証拠のアリナシによって判断する。」という態度になりやすくなるでしょう。

落とし穴の回避

おそらくあなたは「ビハインド・ザ・カーブ ~ 地球平面説」(Netflix)を視聴しても、どこか自分とは関係のないような感覚をもつでしょう。「自分には関係がない」と。

しかし理解しておくべきは、「資本主義」も資本主義を研究した「経済学」も、自己啓発やコーチングの理論も、それらはすべてプロテスタント的な発想から生まれているということです。

例えばコーチングにおいては、「ゴール(なにがなんでも達成したいこと)を強く心に思い浮かべれば、ゴールを実現する方法はきっと見つかる。」というように考えるわけですが、まさにプロテスタント的な発想が根底にあることに気づくはずです。

ここでジレンマに直面します。

まずいろんな物事を予定説的に考えてしまうと、泥沼にハマってしまう可能性が高まります。それは「ビハインド・ザ・カーブ ~ 地球平面説」(Netflix)を視聴すればわかるはずです。

しかし仏教的な発想を素朴に解釈することにも危険があるのです。例えば何かに挑戦しようとするときに、「自分にはできるだろうか?でも自分にはできる証拠がない。だから諦めよう。」などと考えてしまうのです。

どうすればジレンマを解消できるでしょうか?

わたしが「ビハインド・ザ・カーブ ~ 地球平面説」(Netflix)に登場する人たちにアドバイスをするのであれば、「直観を裏切る事実に慣れよ」とアドバイスするでしょう。

例えば相対性理論で明らかになっている事実を学ぶだけで、すでに相対性理論が直観に反する事実の積み重ねによって成り立っているということに気づけることができるはずです。

そして驚くべきことに、「ビハインド・ザ・カーブ ~ 地球平面説」(Netflix)に登場する人たちが乗っている車に備え付けてあるGPSにしても、相対性理論に基づいた処理がなければ、きちんとした位置情報が表示されないのです。

そう。本当に驚くべきことですが、相対性理論はすでにわたしたちが普段利用している機器においても応用されている技術であり、机上の空論などではないのです。

直観を裏切る事実に慣れるためには、自然法則や社会法則について学習するのがよいでしょう。それでは今日もよい一日を!!