総理大臣にふさわしい人物とはどういう人物でしょうか?総理大臣にふさわしい人物とは・・・・・
最低でも「政治プログラム」を構想できる頭のよさと、それをわかりやすく国民に語ることができるコミュニケーションスキルが必要でしょう。しかし頭の良さだけで信頼することはできません。「自分を含めた仲間内のために政治権力を利用しているのでは?」という疑念を払しょくできないからです。
ですから頭の良さや家柄などを利用して自己実現のために政治を利用するような人物ではなく、「自分がやらなきゃ誰がやるんだ?」という内発的動機付け(使命感 等)をベースに政治家を志していることが望ましいでしょう。
しかしキレイごとだけでは政治権力をつかむのは難しいのはわかりきっています。ですから「お金のために政治を利用する」のは論外であるとしても、「政治のためにお金を使う」ことぐらいは国民も認めてあげるべきでしょう。
以上、総理大臣にふさわしい人物として一般的に考えられていそうな条件を列挙してみましたが、残念ながら・・・・現実はそうなってはいません。
目次
政治の現実
政治プログラムを語ることのできる政治家は日本にはほとんどいません。権力や影響力をもっているのは、政治プログラムを語って政党を立ち上げる人物ではなく、既存の政党の中で出世した人間です。
また日本には二世議員が異常なほど多い。さらにお金のために政治を利用しているのでは?(例:GOTOトラベル)と疑われるような施策も多い。もっといえば「お金のために政治を利用する」ことも「政治のためにお金を使う」ことも区別されることなく「政治と金」という言葉により、一緒くたにされてしまっています。
国民のなかには「いつになったら本当に国民のために政治をやってくれる政治家がでてくるのだろう?」と疑問に思っているうちに、そういう希望をもっていたことすら忘れてしまっている人も少なくないでしょう。
なぜ?政治プログラムを構想できる頭の良さがあり、キャリアをつかむために政治家になるのではなくキャリアを捨てて政治家を志すような人材がひかげものとして扱われてしまうのしょうか?
今回はそのような疑問について考えるヒントになるであろう映画作品を紹介します↓↓↓
なぜ君は総理大臣になれないのか(予告)
映画を100倍楽しむために
政治家になるために必要な条件は、地盤・看板・カバンの3つであるといわれています。地盤とは「集票力」、看板とは「知名度」、カバンとは「集金力」のことです。
もし地盤・看板・カバンの3つがない人物が国会議員になりたい場合には、どのような方法があるでしょうか?
少なくとも「政党に所属する」ということが最低限、必要な条件になるでしょう。なぜならば政党に所属しなければ選挙で勝てる確率がグーンと減ってしまうからです。
具体的には政党に所属していないというだけで、比例代表として出馬できないだけでなく、配布できるチラシの枚数や、選挙カーの数なども不利になってしまうのです。
ですから政治家にとって「無所属で選挙で戦う」ということは無謀なことであり、「選挙に勝つ」ということを考えれば無所属になるべきではないのです。
今回映画に登場する「小川淳也」氏(以下敬称略)は、前原誠司の側近中の側近。しかしボスである前原誠司は、2017年9月28日に民進党を「解党」するという決断を下すのでした。
ある日突然、自分の所属していた党が消滅するという状態に追い込まれて選挙を戦うことになった小川淳也は、無所属になるか?それともどこかの党に合流するかで苦悩した末に「希望の党」からの出馬を決意するのでしたが、それが吉と出るか凶と出るか・・・・(詳しくは映画を観てください。)
日本の独裁者
経済学者の故・森嶋通夫は、日本型独裁者は『官僚型』であるといいました。歴史を振り返れば、たしかにそうです。
枢軸国の独裁者のヒットラー(ドイツ)・ムッソリーニ(イタリア)・東条英機(日本)のうち、ヒットラーもムッソリーニも、自分なりの政治プログラムを打ち立てて政党をつくり、権力を握りました。しかし東条英機だけは、政治組織のなかで出世して内閣総理大臣になりました。
つまり日本という国で内閣総理大臣になりたければ、2つの条件を満たす必要があるということです。1つ目の条件は「政党内部のなかで出世する」、2つ目の条件は「所属政党が第一党になる」。
「内閣総理大臣になる」と決意した小川淳也にとって、この2つの条件を満たすことは絶望的です。なぜなら小川淳也には、出世欲がほとんどないからです。本人も出世欲がないことは、政治家にとって致命的な弱点であると述べています。
また「やりたいことを実現するためには出世しなければいけない」という状況に縛られ続けることはとても皮肉なことです。なぜならば・・・・・
小川淳也という人物は、元自治・総務官僚であり、「日本をなんとかするためには、官僚組織から日本の政治を取り戻さなければいけない」という問題意識をもっていました。それにも関わらず、政治家になってからも相変わらず「政党内部のなかでの出世」という官僚的な価値基準に縛られてしまっているからです。
一億総官僚
小川淳也の苦悩を多くの日本人も感じているのではないでしょうか?
官僚・政治家の世界だけでなく、一般企業にも「官僚組織的な価値観」は蔓延(まんえん)しています。無責任体質・忖度・年次至上主義・要請(という命令)などはすべて「官僚組織的な価値観」がベースになっています。
どうすれば「官僚組織的な価値観」からオサラバできるのでしょうか?
この答えについて考えるきっかけとして、「なぜ君は総理大臣になれないのか」の鑑賞をおススメします。それでは今日もよい一日を!!!